【第1話】「センスがない」と言われ続けた僕がプロカメラマンになる原点。 初めてのカメラと経理時代。
「センスがない。」と周囲に言われ続けた学生時代。写真は「撮る人」ではなく「高額なカメラ」で決まると思い込んでいた自分を変えた、叔父の一枚。そして、公務員の夢を捨てて選んだ「製造業の経理職」という道。今の僕の写真スタイルの根底にある、泥臭くも純粋で生意気だった青年時代を振り返ります。
1. 初めてのカメラ、EOS Kiss Digital N
きっかけは、大学1年生の頃にNTTで始めた臨時アルバイト(おそらく業務委託)でした。短期のアルバイトでしたが日給がかなり良く、1ヶ月半しか働かなかったのですが、それでも30万円少しいただいたと記憶しています。
「せっかくこんなにいただいたのだから、何か高いものを買いたい。」
その給料を握りしめてカメラのキタムラで買ったのが、僕の最初の相棒Canon EOS Kiss Digital Nです。
カメラを手にした瞬間、何かが変わりました。大学の友達と遊ぶ時間はほぼなくなり、
「友達と遊ぶくらいなら写真を撮りに行きたい!」
と依存している状態に。友達の誘いを断って一人で、街中や田舎の風景を求めてひたすら歩き回る日々でした。
これだけ聞くと「やっぱカメラマンなんだなぁ」って思うでしょ?笑 でも、今でも思いますけど…撮影は好きなのに撮ってる写真は"何が撮りたいのかよく分からない酷い写真ばかり"で、友達の誘いを断っていつも写真撮りに行ってるのに「良い写真が撮れた」と思ったことなんて一度もなかったです。(自己満足でもなく自己中?という表現が正しいのかもしれません)

後悔はないですが、本当にこれで良かったのか?と思う時はあります。
2. 「センスがない」と周囲から言われ続けた日々
今振り返っても、当時の僕の写真は本当に下手でした(笑)。今でも自分の写真は上手いとは全く思えないのですが、それでも「これでよくカメラマンになろうと思ったな」と呆れるほど当時は酷かったです。
カメラを買ったカメラのキタムラ(今はなくなっちゃいましたが、「カメラのキタムラ オギノ城東店」というお店です)でアルバイトを始め、風景写真を撮っているお客さんに撮った写真を見せたりして感想を聞いたりしましたが、いつも「センスがないねぇ〜」と言われ続ける日々でした。
それでも写真を撮ることがとにかく好きで撮りに行ってました。上手く撮れない悔しさはもちろんありましたが、それよりもシャッターを切る楽しさ・快感の方が勝っていたのかもしれません。

「もう写真やめろ。」
と言われているように感じていましたし。でも撮影が好きだからやめられない…。
3. 叔父が教えてくれた「道具より大事なもの」
夏休みに地元宮崎へ帰省した時、熊本の叔父が趣味で本格的な風景写真を撮っていることを知りました。見せてもらった渓流や山の写真は言葉を失うほど美しく、「やっぱり使っているカメラが高くて良いカメラだからな。」と、当時の僕は道具のせいにしていました。
そんなある日、叔父と一緒に山へ撮影に行き、相変わらず下手な写真を撮っている僕に叔父が言いました。
「耕治、お前のカメラ貸してみろ。」
叔父は僕のKiss Digital Nを手に取り、その辺に咲いていた高山植物をパシッと一枚撮影しました。モニターに映し出されたのは、僕のカメラとは思えないほど美しく、プリントして部屋に飾りたいくらい素敵な写真でした。
「僕のカメラでもこんなに綺麗に撮れるんだ…!」
道具ではなく、撮り手の腕と“光を見る目”の差を、初めて思い知らされた瞬間でした。
それからは叔父に「風景写真を教えて欲しい」と頼んで、僕が撮った風景写真をメールで叔父に送ったり、写真を掲載するブログを開設して叔父に評価して貰う日々が続きました。
4. 警察官の夢と、製造業の経理職
実は高校生の頃は警察官になることが夢だったので、大学も法学部に進みました。しかし、大学の公務員講座で聞いた現職の警察官の方の「まず警察官になったら凄惨な事故現場を日常的に見なければならない」(もっと生々しい表現でしたが、気持ち悪過ぎてここには書けません)というリアルな話にゾッとしてしまい、
僕が憧れていたのは、警察官という"職"ではなく、"制服"だったんだ…。
と"夢だったもの"が一瞬にして消えてしまいました。
その後は特にやりたい仕事が見つからない中(写真はただ好きなだけで、仕事にしたいとまでは全く思っていませんでしたし)、当時はリストラが多かったり有効求人倍率も非常に低かったのと、僕自身地元宮崎に帰りたかったので、とにかく「安定」を求めて地元・宮崎県延岡市の製造業の会社に応募して、新卒の経理職として社会人スタートすることになりました。
5. 全く自分に向いていなかった経理の仕事
経理の仕事は想像以上に細かくて難しくて、僕は高校は普通科、大学は法学部だったのもあり、"貸し借り"の考え方や"仕訳"の意味等全く訳が分からず、簿記の勉強をしながら働いていました。
毎日取引先の手形や書類を見ながらキーボードの打ち間違いがないように入力. 売掛金の残がないか入金を確認して線引きして行く。地道な仕事ですが、会社にとって大切な仕事です。……が、入社して数ヶ月で「自分に向いていない。」と思ってしまいました。
当時撮影はまだ「趣味」の域を出ていませんでしたが、仕事が辛くなるにつれて、仕事後にそのまま2〜3時間運転して高千穂や熊本の山中で夜景をほぼ毎日撮りに行ったりするようになりました。当時は楽しみで行ってましたが、今考えればストレス発散で行っていたのだと思います。(次の日も普通に早起きして仕事ですからね)
この後経理職を辞めることになるのですが、この短い経理職時代に培った「数字を扱う細かさ」や「ビジネスの仕組み」が、のちに税理士さんとのやりとりや僕の法人向け撮影の仕事に大きく活きることになります。
さて、次回は「会社を辞めて、写真専門学校に入った話」です。写真学校時代は特にいろんな出会いや出来事があったので、それらについて書いて行く予定です。
撮影の合間を縫って少しずつ書き進めますので、気長にお待ちいただければ幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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改めましてこんにちは。アナタテラスの江藤です。今回は少し趣向を変えて、
僕がなぜカメラマンになったのか、その「原点」についてお話ししようと思います。
(本当によく聞かれる質問なので、ここに書いておけば次聞かれた時は「詳しくはWebで。」と言えるはず…っ!)